今回は、生麦に在るキリンビール横浜工場に併設されているビアホールで、造り立ての生ビールと美味しい料理を頂こうというのが主なテーマです。ここ数年のコロナ禍の中、休館していたビアレストランがリニューアルされて、新たにビアホールとして生まれ変わり再オープンしました。
そして、現在、この工場の主力生産のキリン本搾りの生ビールと、神奈川生産の豚肉や野菜などを使用した料理を頂く事が出来ます。
そのビアガーデン目指して、鶴見駅東口から旧東海道の道筋を歩いて向かいました。
・まず、最初は旧東海道の道筋を歩きます。京浜急行の鶴見駅のガード下を潜り、国道15号線と交差する旧東海道の道筋。川崎駅や横浜駅の駅前のような大企業のレストラングループの店舗が並ぶ事無く、個人が経営する店舗が並んでいます。
各々個性の有るレストランやカフェやパン屋さんが並ぶ道筋です。
・そして、生麦魚河岸通り。国道15号線を交差した先の魚介類を扱う店舗が並ぶ通りです。地元の方は国道15号線の事を「いちこく」と呼びますが、何故、そう呼ぶのかいうと、戦後新たに造られた現在の国道1号線が出来る前迄は、この国道15号線が国道1号線だったからに由来します。なので、当時の事を知る人達は、この道を「いちこく」と呼ぶのだそうです。
・暫く歩くと、JR鶴見線国道駅が在ります。駅の下のアーケードの店舗は半分以上が撤退してしまっているようです。この駅の佇まいは、他には無い景色で人気があります。閉鎖した場所に新たな店舗が入ったら活気が増すのではないのでしょうか?
・そして、同念神社。たまたま翌日は何年振りかの「蛇も蚊も祭り」の大祭との事で、その準備が行われていました。運よく主役の萱で作られた蛇体が置かれていて拝見する事が出来ました。
・また、少し歩くと生麦事件碑が在りました。此処は、本日の最終目的地であるキリンビール横浜工場の敷地内に建立されています。この場所は、明治時代となるひとつの要因を作った場所となります。
・そして、本日の終着点であるキリンビール横浜工場に在るビアホール。特別に入り口近くのスティルポットが設置されてるゆったりしたソファ席で美味しいビールと料理を頂く事が出来ました。
個室ではありませんが、一般席とは離れた席での会食を楽しむ事が出来ました。
● 旧東海道の道筋
旧東海道は、江戸時代より以前は、汐釣り橋と呼ばれていた鶴見川に架かる橋から京急鶴見駅で京急急行線の線路を潜り、鶴見銀座商店街を通り、国道15号線を越えて生麦市場へと繋がっています。そこから、キリンビール横浜工場迄は、昔の様子を残す街並みが続きます。
● 生麦魚河岸通り
第二次世界大戦前から漁師町だった場所に第二次世界大戦の頃、地元の魚を扱う闇市として誕生したのが、生麦魚河岸通りです。
闇市とは戦時中、食糧物資が不足して配給制となり、自由に売り買いをしたい人達が無許可で始めた市場の事です。
戦後、共同組合となり、東京湾の美味しい穴子を提供する市場として有名になりました。毎年11月に開催される「生麦旧東海道まつり」で販売される穴子一本揚げは有名です。
● JR鶴見線国道駅
1930年、JR鶴見線の前身の、鶴見臨港鉄道の駅として開業。国道に面しているので国道駅という駅名になりました。駅下の通路は廃墟のような雰囲気で、他の駅には無い風景なので、観光客に人気があります。
● 道念稲荷神社
「蛇も蚊も」という、萱で作った蛇体に、悪霊を封じこめて海に流したといわれる行事の発祥の地。「蛇も蚊も祭り」は、6月第一日曜日に開催されます。
● 生麦事件碑
江戸時代の終わり、薩摩藩の大名行列を馬に乗って見物していたイギリス人に対して、薩摩藩士が無礼だとイギリス人を斬り殺した事件。この事で、薩摩藩とイギリスは戦争になり、イギリスの優れた武器の性能と戦い方の違いで薩摩藩は負けてしまいました。
薩摩藩は、外国との国交を反対していたのですが、この事で外国の強さを知りました。そして、薩摩藩は、日本人は外国の技術力を学ぶ必要があると考え、今迄の開国に反対をしていたのを翻して、明治維新となりました。
そのきっかけのひとつとなった事件が「生麦事件」です。
● キリンビール横浜工場
明治時代の初期に、アメリカ人が日本に居留している外国人向けに設立をした日本初のビール工場「スプリングバレーブルワリー」が、キリンビールに引き継がれたのが、キリンビール横浜工場です。
そして、現在、日本に9箇所あるキリンビールの生産工場の中で1888年、最初に発売された「キリンビール」を造ったのが、横浜工場となりました。
Tsurumi town trivia stroll society
4th. “ The route of the Old Tokaido Street & Kirin Brewery Yokohama factory “
● The route of the Old Tokaido Street
The Old Tokaido Street runs from a bridge over the Tsurumi River, known as the Shio Tsuribashi Bridge before the Edo period, under the Keikyu Line tracks at Keikyu Tsurumi Station, through the Tsurumi Ginza shopping street, over National Route 15 and on to Namamugi Market.
From there, the street continues to the Kirin Brewery Yokohama factory, where it retains its old-fashioned appearance.
● Namamugi Fish Market Street
Namamugi Fish Market Street was established around the time of World War II as a black market for local fish in what was once a fishing town before the Second World War.The black market was started by people who wanted to sell and buy freely without a permit during the war, when food supplies were rationed due to shortages.After World War II, the market became a cooperative and became famous as a market offering delicious conger eel from Tokyo Bay.
And there is also famous for the conger eel Ipponage, which is sold at the Namamugi Old Tokaido Festival held every November.
● JR Tsurumi Line Kokudo Station
Opened in 1930 as a station of the Tsurumi Rinko Railway, the predecessor of the JR Tsurumi Line. The station was named Kokudo Station as it faces National Route 15. The passageway under the station has an abandoned atmosphere and is popular with tourists as it’s a scenery not found in other stations.
● Donen Inari Shrine.
This is the birthplace of the ‘Snake and Mosquito Festival’, in which evil spirits are said to have been sealed in a snake body made of straw and floated into the sea.
The Snake and Mosquito Festival is held on the first Sunday of June.
● Namamugi Incident Monument
At the end of the Edo period, a Satsuma clan member cut down and killed an Englishman who was watching a procession of feudal lords of the Satsuma clan on horseback for being rude to him.
This led to a war between the Satsuma clan and the British, which the Satsuma clan lost due to the superior weaponry of the British and their different fighting styles.The Satsuma clan had previously opposed diplomatic relations with foreign countries, but this made them realise the strength of foreign countries.
The Satsuma clan thought that the Japanese people needed to learn about the technological capabilities of foreign countries, and reversed their previous opposition to opening the country to the outside world, resulting in the Meiji Restoration.The Namamugi Incident was one of the triggers for this.
● Kirin Brewery Yokohama factory
The Kirin Brewery Yokohama Factory was the first beer factory in Japan, established by Americans in the early Meiji period for foreign residents of Japan, and was taken over by Kirin Brewery.And of the nine Kirin beer factorys in Japan today, the Yokohama factory was the first to produce Kirin Beer, which was launched in 1888.